随想

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樋口 忠彦

京都大学の在職期間は4年でした。しかし、京都とのかかわりは大学の学生時代に遡ります。東京に住んでいましたが、博士論文『景観の構造に関する基礎的研究』で対象にしたのは、主に奈良と京都の景観だったからです。
この頃は大学紛争で、「原点に帰れ」と叫ばれいました。この影響だったと思います、日本の景観の原点、すなわち原風景に立ち戻ろうということで、奈良や京都の景観に関心をもち、それを論文の対象にしたのです。

研究旅費は限られていましたので、せいぜい3泊4日で、宿はユースホステル、資料や調査項目は事前に念入りに検討したうえでの現地調査でした。これが、毎年2回くらいだったと思います。幸い、訪れた場所の景観は、そのような私に大切なことを語りかけてくれたようで、多くのことを学びました。

人にはいろいろなふるさとがあると思いますが、奈良や京都の景色は、このような意味で、私にとっては大事なふるさとのような景色です。

大学に入ると、私はなぜか自転車部に入部し、東京から金沢に到る日本アルプス横断や、九州一周などの合宿旅行を体験しました。これが日本の景色に開眼するきっかけになったようです。

思い起こすと、写生や写真や映画が好きで、文学では人麻呂・赤人・黒人などの叙景歌や、独歩やツルゲーネフ等が好きだったので、もともと景色好きだったのだと思います。

生まれ育ったのは埼玉県の羽生で、関東造盆地運動の中心といわれていて、空間的にはまさに関東平野の中心部です。西には富士山と秩父の連山、北には浅間、赤城、榛名、日光の山々、東には筑波山を、はるか遠くに望む地です。山は、いつもはるか彼方の霞のなかにあり、冬には雪を頂く、気高い存在でした。

この山々に、私が住んでいる集落の屋敷林と同じ木が生えていることを知って、ひどく落胆したのは、小学校高学年の時に、電車に乗って秩父の山に遠足に出掛けた時のことです。この話をすると多くの人は驚きますが、山に木が生えていることを知らないで育った人間もいるのです。

このような人間が、自転車のペダルを踏んで、日本アルプスを越え、九州を一周したのです。どこへ行っても山また山。私は異邦人のような感覚にとらわれ、日本は山国だということを、身を以て、まさに体得しました。

日本人のハビタット(生息地)は、地形の空間的・景観的特徴を巧みに生かしながら形づくられてきたことを、古代からの宮都、神社、寺院、集落、古墳などを対象にしながら明らかにしようという研究テーマは、この経験から生まれたものです。これが博士論文です。この論文は、後にThe MIT Pressから単行本で出版されることになります。

京都の景観に再び係わることになったのは、10年くらい前のことです。その頃早大におられた建築学専攻の門内輝行教授から建築学会「京都の都市景観特別研究委員会」の「景観史・景観論小委員会」主査を依頼されたのです。2ヶ月に一回開催される京都での小委員会が2年間続きました。京都の都市景観が抱えている問題を、人間・環境学専攻の伊従勉教授の道案内でつぶさに学びました。

この委員会の成果は、2002年に「京都の都市景観の再生に関する提言」にまとめられ、京都市の景観政策に大きな影響を及ぼすことになります。幸い、2003年4月に京大に赴任することになり、「時を超え光り輝く京都の景観づくり審議会」(会長・西島安則先生)の委員として答申の取りまとめに参画し、京都市新景観政策の基本的方針と景観のあるべき目標とを提言することができました。

京都に住むようになって、外来の研究者として眺めていた京都の景色を、住人として日常的に眺めるようになり、日々、新たな景色を発見するという生活になりました。

環境のなかの何を、日本人は景色として見るようになったのか、その歴史をたどってみようと思いついたのは、京大に赴任する前のことです。ただ、日本での景色の歴史をたどろうとすると、事例の多くは近畿圏に集中していて、研究は遅々として進みませんでした。京都に住むという地の利を得て 、、この問題は解消しました。

気づいたことは、特に古代から近世にいたる間に見出されてきたさまざまな景色が、京都では、よく継承、保存され、いまだに多くの人びとに楽しまれ、生活の中に生きていることでした。なぜ京都では、このような歴史的な景色が継承、持続されてきたのか。これも、あらたな研究テーマになりました。

京大在職は4年間でしたが、地の利ばかりでなく、優秀なスタッフと学生にも恵まれ、有意義な研究生活を送ることが出来ました。4月からは、瀬戸内の多島海の景色を眺めながらの生活に変わりましたが、うれしいことに、科研の共同研究として京都の景色研究を続けることが可能になりました。このため、時折、、京都大学を訪れています。これからもよろしくご指導下さい。

(元都市環境工学専攻教授)